偏屈士日碌

アジカンを筆頭に邦ロックやアニメについてつらつらと。

思考停止社会

最近、主に東京の池袋などに大量発生している「痛バッグ」というものをご存知であろうか。

痛バッグとは、そのまま「痛い」バッグである。
説明を放棄しすぎた。簡単に言うと、アニメキャラクターの缶バッジやストラップ類を、大きいトートバッグに大量に付けたもの、その物体をいつからかオタク達は「痛バッグ」と呼ぶようになった。

痛バッグには、たいてい、その持ち主が好きなアニメ作品の1人のキャラクターの缶バッジやらストラップ類やらが大量に付いているのだが、その最大の特徴は「同じデザインや同じ絵柄のストラップ、缶バッジを複数個(それも10個以上)付けること」である。これは、見慣れてない人や非オタクの一般市民から見れば、きっと驚愕の光景であることだろう。

そんな痛バッグの所有者は、池袋にいる女性のアニメオタクが多い。というか、私が見かけた限りでは女性しかいない。男性の場合は、自分でグッズを集めてバッグを作ったりせず、元々アニメキャラクターがプリントされて販売されているバッグを買って、所持しているようである(それも少数派だが)。

では一体、何故そんなバッグを作る人が急増したのか。
これはあくまで推論に過ぎないが、今日友人と話していて浮上した一つのきっかけは、二次元のアイドルの出現である。

今まで、ジャニーズのような男性のアイドルを題材にしたアニメはありそうであまりなかった(きらりんレボリューションのように、脇役で男性アイドルが活躍するアニメはあったが)。しかし、2011年に、男性のアイドルを主題に扱ったアニメが登場した。そのアニメが「うたの☆プリンスさまっ♪」である。

乙女ゲーム原作のこの「うたプリ」は、すごく簡単に言ってしまうと主人公の女の子(ゲームでは自分という設定)が、アイドルを目指すイケメン青年達と恋愛をするというものである。実際そのキャラクター役の声優が歌を歌ってCDを出したりしており、まさに二次元上のアイドルとも言うべき存在となっている。

そのゲームがアニメ化してから人気は爆発的に増え、CDもゲームもDVDも、そしてグッズも飛ぶように売れ、そんな中で次第に「痛バッグ」というものをぶら下げて歩く女の子が徐々に出現していったのである。

日本人というのは非常に他人の影響を受けやすい民族なので、それを見た女子達は「うわぁ、いいなぁ」と思ったのかは知らんが、気づいた頃には周りは痛バッグだらけ、池袋がオシャレな若者の街と呼ばれた面影は今や過去の残像となり、すっかりオタクな若者の街となってしまった。もちろん、「うたプリ」以外の作品の痛バッグをぶら下げている人も沢山存在している。

この「うたプリ」の流行が象徴しているように、私は最近、「アニメのアイドル化」が進んでいるように思えてならない。

昔ジャニーズファンがぶら下げていたバッグを思い出していただきたい。私の姉は熱心な嵐ファンだったため、プラスチックのバッグに櫻井翔の切り抜きを大量に貼っていた。今まさに起こっているのはその二次元バージョンではないだろうか。

アニメとはエンターテイメントであるという前に、作者の思想やメッセージを込めた芸術作品である。もちろん、一つのアニメ作品を作るのにも膨大な時間と手間が掛かるから、作者だけでなくその制作に携わった人達の想いも込められているだろう。私は実際に携わっていないので偉そうなことを言える立場ではないが、一コマを描いた一枚が、アニメにして一秒にも満たないことを考慮すれば、どのくらい大変な作業かは想像に難くない。

そんなアニメ作品を、まぁ元々「うたプリ」のように主題をアイドルにしているアニメは別の話になるかもしれないが、簡単に「このキャラがかっこいい」という感情だけで受け取ってしまって良いのだろうか。はっきり言ってしまうと、痛バッグを作っていたり、グッズを大量購入している人達は、そのアニメに、心からそのグッズ量に見合う程の感動を感じ、考えたことがあるのか、と私は疑問に思えてならない。

これは何も、女性だけに言えることではない。
だいたいアニメオタク、と言われて想起されるのは、恐らく可愛い女の子が登場するアニメが好きな男性であろう。もっとも、今はかの電車男のような風貌のオタクは少なくなってきたものの、未だに美少女が登場するアニメが人気を博しているのは事実である。
そして、かつて話題になったように、女性のように顕著に外見に表れなくても、大量にグッズを集め、部屋を好きなキャラクター塗れにしている人もだいぶ前から存在していた。オタクを象徴する「萌え」という言葉が表している通り、このアニメアイドル化現象は、実は10年前くらいからも存在していたのである。それが今や当たり前になり、いつの間にかキャラクター重視のアニメ産業が広まってきてしまったように思う。

今までアニメオタクに焦点をあててきたが、このことは現代のものほとんどに当てはまると思う。
例えば、最近流行ってきた音楽ロックフェスにも同じことが言える。音楽ロックフェスではモッシュやダイブといった行為が当たり前になっているようだが、私は単純に、それをすると音楽を聴いて味わうことはあまり出来ないのではないのか、と思えてくる。音楽を聴いていて気分が高鳴ってしまった結果、モッシュやダイブをするのだというのなら全く構わないが、モッシュやダイブをするためだけにフェスに来ているような人が、最近は見受けられるように思える。ついこの前ツイッターで見かけたフェスでの痴漢行為が良い例である。高い代金を支払ってまで来た好きなミュージシャンのライブで、急に性欲が掻き立てられて痴漢行為に走る、というのは、そのミュージシャンの本当のファンだとすると、あまりにも理解し難い思考回路である。

長々と悪口しか書いて来なかったが、決して誤解しないでいただきたいのは、グッズを集めている人皆、フェスに来てモッシュやダイブをしている人達皆を批判しているつもりは毛頭ないということである。
そのキャラクターが登場するアニメが本当に好きで、心から感動したという人が痛バッグをぶら下げていたりグッズを集めていたりしても一向に構わないし、前述した通り、本当にそのミュージシャンの音楽や思想に感動して、そのテンションの高ぶりでモッシュやダイブをするのは全く構わない。

ただ、芸術作品を吟味せず、思考することがなくなったら、芸術作品は間違いなく衰退していく。アニメの制作側も「難解な内容、深刻な内容は売れない。ビジュアルをかっこよくして人気声優を起用した方が圧倒的に売れる」と思ってしまえば、メッセージ性の強いアニメ作品は減ってくるだろうし(既にそう思い始めてきているような気がするが)、音楽に関しても「難解な音楽は盛り上がれないし、ウケない。盛り上がれるようなキャッチーな曲の方が売れる」と思って、深い、示唆に富んだ音楽は無くなってしまうだろう。

今まで誰目線でものを語っているんだ、と思われていたかもしれない。それは私もこの記事を深夜に打っていてひしひしと感じていたことである。これ、載せたら次の日私のブログは炎上するんじゃねぇかなと。

ただ、何も創作もしていない私が、一ファンとして、受験勉強を放棄してまで主張しておきたかっただけなのである。

そういった芸術作品の衰退、そして何もかもが見かけの愛情で示され、深く思考することなく物事が受け取られる傾向にあるインスタントな現代に、私は一人の消費者として違和感を感じているだけなのである。


長々と申し訳ない。もしここまで読んで下さった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。