偏屈士日碌

アジカンを筆頭に邦ロックやアニメについてつらつらと。

四畳半的京都探訪

私が京都に行きたい、と切望してからどれだけの月日が経ったろうか。森見登美彦氏と運命の出会いを果たしたのが中学二年の春のことであったから、少なくとも5、6年は経っているといえる。修学旅行も何故か沖縄や九州に飛ばされ、「京都に行きたい」と泣きながら父に懇願しても「暑いから嫌」「金がない」などと一蹴され続け、ついにその願いは一生叶わないものなのではないかと諦めかけていた。しかしここで予想外の展開が訪れた。

 

それは今年の7月に遡る。小説の舞台探訪をテーマに掲げた大学の講義で森見登美彦氏の『新釈 走れメロス』が取り上げられた回があった。スキンヘッドの教授が延々と作品の舞台を散歩する映像が垂れ流されているのを学生がスマートフォンをいじりながら過ごしている最中、私は激しい衝動に突き動かされていた。突然「京都に行きたい!」と叫びたくなるほど京都に行きたくなったのである。受験して文学部に入ったにも関わらず、受験期以降文学から疎遠になり、SNSに阿呆なネタツイートでいいね数を稼ぐことにのみ精を出していた私に、突然6年前、『四畳半神話大系』と運命の出会いを果たした時と同じくらい強い衝動が蘇ってきたのである。居ても立っても居られず、試験前にも関わらず一人で京都に行く方法を調べ、実行しようとした。そこで両親に「一人で京都に行こうと思う」と告げると、両親は「お前は危ないからダメだ、一人で行って死んだらどうする」と必死で引き止め、あんなに億劫がっていた父がいつの間にか宿の予約まで済ませていた。両親が過保護過ぎるのもあるが、一人で出かけて階段から滑り落ち、意識を失いかけたことがあったほど私があまりに危なっかしいからというのが大きいのであろう。

 

そうして遂に6年越しの願いが実現し、現在私は京都にいる。6年越しの願いが実現した私は、肌が燃えるような暑さで死にそうになっている中年の両親に見向きもせず、ひたすら京都の街を引きずり回した。四条大橋を見物し、木屋町付近の喫茶店で客に睨まれ、鴨川デルタを渡り、蹴上インクラインの凄まじい水勢に圧倒された。散歩しているうちに「京都中を一人で散歩したいなあ、鴨川デルタの真ん中で樋口師匠のようにマンドリンを弾き語りたいなあ」などというような欲が出てきてしまい、京都にいながらまたしても居ても立っても居られなくなってしまった。「どうして頑張って勉強して京都大学を目指そうと思わなかったのだろう」とさえ思った。

 

京都には不思議な力がある。読書も碌にせず、文章もほとんど書かなくなってしまった阿呆学生の私が、こんなに長文のブログを書いてしまった。「やはり文学的な思考に陥らせる力が、この街に潜んでいるのやも知れぬ」と調子に乗って、筆をとった次第である。