偏屈士日碌

アジカンを筆頭に邦ロックやアニメについてつらつらと。

卒業(間近)

2014年ベストトラックストレイテナー編を書こうと思っていたのだが、なんだか自分が卒業することばかり考えてしまったので、予定を変更してそちらを書こうと思う。

意外にあっけなく、大した実感もないまま卒業前日を迎えてしまった訳だが、思い返してみると色々と感じるものがある。色々あったなぁとか。色々ありすぎてあんまり覚えてないなぁとか。あれ、全然思い出せないぞ。体育の授業が嫌すぎて朝の電車で腹が痛くなっていたことくらいしか思い出せない。受験期の体育は地獄であった。家に居ても地獄(勉強しなければいけないので)、学校に行っても地獄、みたいなそんな苦痛の極みみたいな生活が半年以上続いたのは流石にしんどかった。しかもその頃あまりに精神不安定だったが故にクラス内で上手くいっていないことも多く、まさに病み期ピークであったのも鮮明に思い出せる。普通こういうのは楽しい記憶ばかりが思い出されるものだが、不思議と苦痛だった記憶しか蘇って来ないものだから卒業に対する感動だとかそういうものがぶち壊しである。

まぁそういう卒業への感慨をぶち壊してしまうのを覚悟で正直に言ってしまうと、中高生生活は辛いことばかりであった。自分が何者か分からなかったので、高校三年間はクラス内で居場所を見出せず終いだった。他人の顔色を伺い、嫌われぬようにと必死で笑顔を浮かべた。常に根底に深く根付いているコンプレックスに苛まれ、他人から見下されている感じがしていた。長所が無いのではと悩み、家で号泣していた日々も少なくない。どこかに行きたいというよくわからない衝動に突き動かされながらも、どこに行く金も度胸もあてもなかった。そういうときはかっこいいロックを聴いていた。ミュージシャンに自分を重ねて脚光を浴びている妄想に駆られていた...。

何だかモテない中二男子のようであるが、本気でそんなことを毎日考えていたのである。そして今もそうである部分が結構あるから(特に後半部とか)、笑えなくて余計に悲しさが増してきた。違う意味で泣けてくる。

しかし、思春期というのはこういうものではないのかなとも思う。楽しそうに笑顔を浮かべていた同級生も、どこかで泣き叫んでいたのかもしれない。完璧に見えていた子も、何かしらのコンプレックスに苛まれていたのかもしれない。今になってみると、そんなことを考える。

勿論、楽しいことも沢山あった。担任教師をストーキングしたり、友達が留守の間机にアニメのカードを大量に並べて嫌がらせしたり、遅くまでたわいもないことで立ち話したり。そういうことは本当に楽しい時間であったし、この頃でしか経験出来ない、貴重な時間であったと思う。私の良き理解者も出来た。辛い思いは沢山したが、学校に行かなければ手に入らなかったことも沢山あった。女子校だったのでリア充的なときめきとか色恋沙汰とかは皆無であったが、まさに青春を謳歌していたのだと思う。当時の私は全くそんなことを考えていなかったけど。

不自由な制服に身を包み、狭い教室で集団行動を強いられる、そんな生活からついに解放される。しかし、ちょっと寂しい気もする。そもそも私服そんなに持ってねぇし。レパートリー少ねぇし。という文句が最近の我々の主な会話ネタである程である。不自由なくらいが丁度良かったのかもしれない。

大学に対して早くも不安が山積みであるが、家計を切り詰めながらも今の学校に通わせてくれた父親と相談相手になってくれた母親、こんな私と長年付き合ってくれた友人らに感謝しつつ、とりあえずしっかり卒業を迎えたいと思う。さらばだ、JK!