偏屈士日碌

アジカンを筆頭に邦ロックやアニメについてつらつらと。

HAPPY

誕生日というものに、最近はあまり執着しなくなっていた。
そもそも何故生まれた日だからといって「おめでとう」なのかがよく分からない。無事に生まれたから「おめでとう」なのか。それにしてもなんだか腑に落ちない。うーん。

そんな捻くれたことを考えていたら、いつの間にか自分の誕生日が来てしまった。
11月9日は私の誕生日であった(別に覚えていただきたくて誕生日をわざわざ記したわけではない。断じて!)。
前日は「こんなクソ野郎の誕生日なんて誰も祝ってくれねぇよどうせ非リアだよチクショー」と思うことすらなく、「明日朝辛いから早く寝よ」と思って、いそいそと23時半くらいに床に就いた。そしたら何やらスマホがブーブー鳴いている。またメルマガかよと思ってスマホを開いたら、一人の友人からLINEが来ていた。その友人のメッセージはこんなものであった。
「フライング誕生日おめでとうー!」
かなりのうろ覚えなので実際とはだいぶ違うと思うが、だいたいはこんな感じであった。そうか、明日は我が誕生日であったか。私は思った。

それにしても、誕生日(の30分前)にわざわざメッセージを送ってきてくれるなんて有難いものであるなぁ。私は感動してスマホの画面を見ながらにやにやしていた。そして「ありがとう」と返信して今度こそ就寝しようとした。

そうしたらまたスマホがブーブー鳴っている。スマホを開くと、沢山の友達からLINEやらメールやらが来ていた。時計を見ると、深夜0時0分である。
メッセージを読んでみると、どれも私の誕生日をお祝いしてくれているものであった。正直お祝いメッセージが来るとも全く考えていなかったし、ましてや12時ジャストで来るなんて尚更想像もつかなかったので、本当に吃驚した。本当に嬉しかった。

ツイッターでもその感動を呟いていたら、沢山のフォロワーさんがお祝いをしてくれたし、翌日学校でも沢山のクラスメイト達がお祝いの言葉を口にしてくれたり、プレゼントをくれたりしてくれた。本当に、色々あったが16年間生きてきて良かったなと、心から嘘なく思った。ありがとうございます。本当にありがとうございました。

誕生日に対する執着を忘れていた私であったが、案外捨てたものではないなと今年に一番強く感じた。誕生日を祝われるのは、案外他人が思うより嬉しいことである。もし好きな人がいるのなら、その人の誕生日を聞き出して祝ってあげれば、ハートを掴めること間違いなし、かもしれない。

というわけで、今年もよろしくお願いします。




ブログ終了の危機

このブログをやる意義が段々分からなくなってきている。

元よりこのブログをやる意義など始めからなかったのだが、まぁ自己満足でやればいいかしら、一人で後藤正文風な文章を書いて後藤正文みたいなの書けたなよっしゃー!と寂しく楽しんでればいいかしらと、今まで読んでいただいた方々のおかげもあってなんとかこれまで続けてきた。
しかし記事を更新する際に表示されるアクセス数が毎回「1」だとか「0」だとか表示されていたら、流石に心がポキっとポッキーの如く折れてしまうものであろう。何を書けばいいんだろう、というかこんな面白くもなく、かつ有名人でも後藤正文でもない奴の日常なんて別に知りたくもないだろうな、と、最近はそう思ってきてしまう。そもそも、一般の方は何をモチベーションにしてブログを続けているのであろうか。気になる。

そんなわけで、もう受験もあるし、そろそろこのブログ止めるかもわかりません。しばらく考えてみます。


天使と悪魔

数週間前に報道されたニュース、覚えている人はどれくらいいるのだろうか。

30代女性が、踏切でうずくまっていたおじいさんを助け、亡くなってしまったニュースである。あのニュースを見たのは恐らく事件翌日の朝か昼頃だったろうが、一人でテレビを見ていて、体が硬直してしまったのを覚えている。「うわぁ」と、言葉に言い表せない思いが私の胸を駆け巡った。

私がその場にいたら、彼女と同じ行動を取ることがあったのだろうか。
私は恐らく、彼女と同じ行動は取らなかっただろう。きっと「あのおじいさん、大丈夫かな」と思いながら、通り過ぎてしまったに違いない。私は「いい人」ではないからだ。見知らぬ男性の為に命は落とせない。たとえ冷たいと誰かに罵られようが、私はその考えを変えることは出来なかろうと思う。

しかし、そう思うと同時、彼女のしたことは本当に正しいことだったのか、という疑問も湧き上がってきた。彼女の遺族の方がどうお考えなのかわからないが、もしかしたら「あのおじいさんを見捨ててまでも生きていて欲しかった」と懇願している遺族の方だっているかもしれない。二人とも助かる方法はなかったのか。私は正直なところ、そう思わざるを得ない。

そう考えると、善と悪の境目は極めて曖昧だと思う。人によって何が正しくて何が間違ってるかは違うと思うし、何が善で何が悪だという絶対的な定義付けも出来ないと思う。親切をした人がかえってその人には迷惑だったりすることもある。電車で、若者が老人に席を譲りましょうかと申し出た時、その老人に「年寄り扱いするな!」と怒鳴られてしまったりするのはこれに当てはまる例であろう。

人に嫌われまいとしてした行為が逆に誰かに嫌われてしまうこともある。最近私の身にもそのようなことが起こった。三年くらいの付き合いになる子だったが、顔色を伺いすぎて怒られ、ついには口も利いてくれなくなってしまった。そういうこともあるんだなと思った。

そもそも、皆に嫌われたくないという感情自体があまり純粋な善の感情とも言い切れない節がある。嫌われたくないのは、相手が大切だからではなく、自分が傷つくのを極度に恐れる為だ、と最近読んだ中島義道の著書に記されていた。つまりは全て自分を守る為だということになる。それを防ぐために、中島義道は「人を嫌い、嫌われることを受け入れることだ」と言う。つまり誰かを思いやる為には、誰かを嫌うことが不可欠だということである。もうこうなったらわけがわからない。善も悪もこの世には存在しないのかとさえ思ってしまう。

むしろ、善と悪は反対語なのではなく、表裏一体な存在なのかもしれない。世界の終わりが『天使と悪魔』という曲で歌っているように。そんなことを数週間ずっと考えていた気がする。中島義道の本についてはまたもっと詳しく書きたい。以上。

文化祭という名の悪夢

今から約一週間前のことだが、私が通っている学校で文化祭なるものが開催された。

文化祭とは生徒が最も浮かれる日である。女子校や男子校など、普段異性と交流する場が殆どない思春期の学生達に唯一春が訪れる夢の二日間ともなれば、生徒が浮かれるのも無理はない。いつも怖いおっさんの教師も何故か知らんがニヤニヤとして子どものように楽しみにする程だ。

私は正直「自分みたいなのに春なんて訪れねーよ。リア充マジで爆発してくんねぇかな」というスタンスでこの日を迎え、実際春は訪れなかったのだが、受験生を案内したりしなかったりという実行委員の仕事をしてまぁまぁ楽しんだ。

で、軽音部に入っているので勿論ライブもやったのだが、もうあれは今となっては黒歴史になってしまった。何故か。それはMCで恐ろしいほどスベってしまったからである。それはもう、凄まじいスベりようであった。教室は、暗幕で暗くなってる中にスポットライトが照らされているライブハウス風の室内になっていたが、この時だけはライブではなく葬式のように感じられた。まさに地獄のような時間であった。心が折れた。やはり私は後藤正文にはなれないなと絶望した。

そんなことがあったが、私の友達や担任の先生など、沢山の人が見に来てくれたのはとても嬉しかった。中には男子学生や交換留学生なども見に来てくれていて、本当ありがたいなと思う。遥か彼方を超ノリノリで聴いていた黒人の交換留学生にはちょっとビビったが、音楽は言葉通り国境や性別を越えるなぁとしみじみ感じさせられた。

こういうことをMCで話したかったんだけどなぁ。





それでも岩は転がり続ける

アジカン10周年記念ファン感謝祭に行って来た。

14日の方にしか参加出来なかったのだが、本当に、言葉に言い表せないほど素晴らしいライブであった。

まず第一にセットリストが私の好きな曲だらけだったのが非常に嬉しかった。普段好きなのにあまりライブでやってくれないなぁという曲を次々に演奏してくれて、本当に夢のようだと思った。歌詞がダイレクトに響いてきて、色々考えさせられたり、思い出に耽ったり、励まされたりと、何だかライブなのに感傷的な気分にさせられた。自然と涙が目から溢れ出していた。

勿論、感傷に浸るだけでなく大いに盛り上がりもした。ループ&ループやリライト、君という花などの代表曲では皆で合唱し、その一体感がとても気持ちよくて楽しかった。三万人超で行った「らっせー」や「リライトしてぇー!」。最高すぎた。思い出すだけでもドキドキしてくる。

感想があまりにも稚拙で申し訳ないが、とにかく4時間半を通してアジカンが本当に好きだなぁと再認識した。そんなライブであった。

アジカンに出会えて本当に良かったと、心底思う。
いつでも私の側に寄り添い、希望を、絶望を、社会を、自分を、未来を、過去を、そして現在を歌ってくれた。まだアジカンに知り合ってから四年程しか経っていないが、アジカンから得たものは数えきれない。邦ロックや文学、政治への関心を高めてくれただけに留まらず、自分の考えや思想を根底から覆してくれた。今までの人生の中で色々後悔することはあるが、生まれてきたこととアジカンと出会えたことだけは自信を持って正解だったと断言出来る。出会っていなければ、今以上に腑抜けでしょうもないバカ学生になっていたに違いない。本当に出会えて良かった。

アジカン、これからも末長く応援していきます。今まで沢山のものをくれて本当にありがとうございました。


こういう風に言葉にするのは難しい。安っぽくなってしまう。すごくもどかしい。だけれども、とにかく、アジカンは私の全ての原点であり、全ての原動力である。これだけは言っておきたいと思う。

そしていい加減、一緒にライブに行く友達が欲しい。誰でもいいから早くハマって下さい。



一日目のセットリストを挙げておく。見たくない方はお戻りください。(@ajikan3079さんのツイートを参考にさせていただきました)

<第一部>
未来の破片
エントランス
Hold me tight
電波塔
アンダースタンド
君の街まで
ブラックアウト
夏の日、残像
夜のコール
夏蝉
脈打つ生命
未だ見ぬ明日に
ループ&ループ
リライト
迷子犬と雨のビート
ワールドワールドワールド
新しい世界

<第二部> ※()内はアジカンメンバーが付けたランキング
第10位(88) 絵画教室
第9位(9) それでは、また明日
第8位(14) 転がる岩、君に朝が降る
第7位(30) ムスタング
第6位(48) 羅針盤
第5位(8) 或る街の群青
第4位(3) 海岸通り
第3位(6) 君という花
第2位(19) Re:Re:
第1位(40) ソラニン

<アンコール>
遥か彼方



そして、私も、どこにも需要はないと思うがランキングを付けてみた。

第1位 迷子犬と雨のビート
第2位 ソラニン
第3位 新世紀のラブソング
第4位 或る街の群青
第5位 転がる岩、君に朝が降る
第6位 夜のコール
第7位 脈打つ生命
第8位 未だ見ぬ明日に
第9位 橙

すごく悩んだ。もう全ての曲をランキング入れたくなったが、何とかそれを抑えて付けた結果がこれである。上位三曲は完全なる思い出曲である。レンタルショップ屋で運命的な出会いを果たした新世紀のラブソング、PON!という番組の天気予報で偶然聴いたソラニン、四畳半神話大系のアニメで激ハマりし、アジカンにハマるきっかけになった迷子犬と雨のビート。未だに忘れることはなく、鮮明に覚えている。
そんな四年間のことを思い出しながら、彼らの演奏を聴いていた。

最高な時間をありがとう。そして最高な音楽をありがとう。

こんな希望も段々と見失いがちになる今でも、アジカンが鳴らしたロックは私の、そして色々な人の中で転がり続けている。



平成25年度夏休み終了のお知らせ

まだまだ暑い日が続いている、とテレビのお天気お姉さんは言っているが、街を通り抜ける風はどこか涼しくなってきたように感じる。朝晩はとくに涼しい。一時期の茹だるような熱帯夜はもう訪れることも少なくなった。
秋の気配である。
夏が終わる気配である。
つまり、永遠かと思われた夏休みも終わるのである。

ブログを全く更新しないうちに、夏休みがついに最終日を迎えてしまった。
まず一番最初に思ったのは、二ヶ月何してたっけ、ということである。本当に、自慢ではないが全く勉学とは遠く離れた生活をしていた。
昼くらいに起きる。スマホを見る。飯を食う。スマホを見る。風呂に入る。飯を食う。スマホを見る。寝る。
ここに「勉強する」という項目が入った日は夏休みの前半数日くらいしかない。一体私は何故そうなってしまったのだろうか。責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。

まぁしかし勉強時間を犠牲にして行きたかった最低限な場所には行くことができた。SPYAIRBIGMAMAの対バン、深海展、森鴎外記念館、近所の神社、J-world、ナンジャタウン銀魂映画など。若者なんだかおっさんなんだかオタクなんだかよくわからん場所に行って様々なことを楽しんだ。そして暑さのあまり干からびた。

夏休み、暇だったが、楽しかった。そして儚い。夏の終わりも夏休みの終わりも、何故だか他の季節がすぎるよりも一層寂しい気分にさせる。しかしもう夏も夏休みも戻ってくることはない。今年も終わってしまったなぁ、と感傷的になりながら過ぎ去りし季節を宿題もせずにぼんやり見送る。宿題は...もういいや。


何処にも需要はないと思うが、夏休み最初に書こうと思っていた「夏に聴きたい曲リスト」を挙げておく。これを一気に聴けば夏休み最終日という現実から逃避できること間違いなし!

・藤沢ルーザー/ASIAN KUNG-FU GENERATION
・夏の日、残像/             〃
・夏蝉/             〃
無限グライダー/             〃
ロードムービー/              〃
・青い栞/Galileo Galilei
・Superblock/the HIATUS
・CHU-BURA/KELUN
・バイシクル/NICO Touches the Walls
夏の大三角形/              〃
・Summer Has Gone/PHONO TONES
・少年/Qwai
・夏の夜/片平里菜
・enough/         〃
シーラカンスと僕/       〃
・Hello Hello/世武裕子
・とび魚のバタフライ/チャットモンチー
・風吹けば恋/            〃
・若者のすべて/     〃
・ペダル/        〃
・徒然モノクローム/       〃




アニメ文化とインスタント

私の好きなアニメに「銀魂」というアニメがある。

 
言わずと知れた、海外でも人気のある週刊少年ジャンプの看板漫画の一つで、強烈な下ネタとギャグのテンポの良さ、その反面ジャンプ漫画らしいシリアスさとバトルシーンを持ち合わせているのが魅力の作品である。三年前くらいにドハマリし、グッズを巡って友人と銀魂の本編以上に過激なバトルシーンを繰り広げたこともあった。イナズマイレブンにハマると同時にその熱は段々と冷えてゆき、その後私の興味はイナイレから二次創作、二次創作からBLへ、段々と移り変わっていったのであった。
 
そんな銀魂が映画をやるというので、約一ヶ月前にアニメオタクの母親と観に行った。
 
何だこの素晴らしい話。
 
主人公の坂田銀時とその仲間たちとの絆を描いた話であった。と書くとあまりに安っぽく聞こえるが、それが一筋縄にはいかない。銀魂らしい回りくどさ(よい意味で)は相変わらずで、憎まれ口を叩きながらも坂田銀時を必死で助けるところには、とても感動する。持ち味であるどってん返しや下ネタやギャグも満載で、初めて見る人もファンの人にも薦められる作品であった。
 
そんな映画を観てから銀魂熱が再燃してきた私は、今まで気になっていた「一国傾城篇」という長編をコミックスで読もう、と思い、映画を見た次の日辺りにその長編が載っている巻を買った。そして読んだ。
 
何だこの素晴らしい話。
 
これは逆に今まである程度原作を読んできたりアニメを見てきたりしてきた人でないとなかなか理解し難い内容ではあったが、単行本を一巻から持っている私にとっては、もう涙が止まらなかった。坂田銀時の過去が一部判明する重要な長編になっていて、その中にもギャグあり人情ありバトルありの内容であった。しばらく入り込みすぎてしまって、読了後一週間くらい、その長編について考え込んでしまう時期が続いた。
 
何故今それを書いたかというと、今日、その話のアニメがCSで放送していたからである。つまり、アニメを見て、再び感動が蘇ってしまったからである。
 
たかがアニメ、あんなのただ絵が動いてるだけだ、何であんな数年前の私は入り込んでんたんだ、とちょっと前まで思っていた。全力で謝罪したい。アニメ作品に携わる全てのスタッフの方々、アニメを愛している全ての方々に。
アニメや漫画ほど引き込まれるものはない。アニメ、漫画作品といえどたくさんの作品があるので何とも言えないが、倫理観や現代人が忘れていたものを教えてくれるような作品が少なからずある。私も思い返せば、アニメや漫画に感銘を受けてきたことがたくさんあった。語彙力も増えるし、意外と精神論的な面以外にも学ぶことがある。アニメや漫画だって立派な自己表現の一つであり、教養の一種にな りえるものもあるのだということを、ここ最近の私は忘れていた気がした。
 
そんなことを考えながら漫画でも買おうかと先日池袋に赴いたところ、アニメグッズ店の人の多さに非常に驚いた。花火大会かと思わせるほど大混雑しており、人がわんさか押し合いへし合いをしていた。皆が自分の手に入れたいグッズの入手に必死で、他の客を押しのけている人も見られた。友人曰く、一気買いをしてしまうせいでアニメのくじ引きが発売日の午前中に完売してしまったり、イベント開催日に深夜から会場にならんでいる人がいるせいで入場規制までもが掛かってしまう程であるらしい。アニメを熱心に好む気持ちは十分に理解できる。しかしそこに、即席の感情が潜んでいるのではないかと、少々感じた。
 
グッズを買ったりイベントに行ったりすること自体を批判しているわけではもちろんない。ただ、今日のアニメファンは、実際に作品のシナリオを評価している上で、その作品のグッズを他のファンの迷惑を考えずに大量購入したり、イベントに深夜から待機したりしているのかと疑問に感じてしまう。これは男女関係なく言えることである。ある作品のグッズを購入するファンが、その作品の内容についての良さを語っている場面を、最近はあまり見なくなってしまった。作品そのものを純粋にじっくりと堪能し、理解するという根本的な姿勢が失われ、そのキャラクターだけに着目し、独りよがりな欲求で他人に気を配れなくなるファンというのが、アニメグッズ販売店の中に増えてきてしまったような気がするのである。
 
私の憶測だけでそう決めつけてしまうのは非常に悪いことだが、先日の池袋や、友人の話でそう感じざるを得ない。
 
そしてこれは何もアニメファンに限ったことではない。他人にぶつかっても謝らずに平然と去って行く人、ネットでの誹謗中傷。私達は何につけても、常に自分を優先したがってしまう。偉そうなことを言って申し訳ないが、そういう人達が、そして何より私自身が、少しでも他人に気を配り、その作品や物事の本当の素晴らしさに気付ければと、そう願うばかりである。