偏屈士日碌

アジカンを筆頭に邦ロックやアニメについてつらつらと。

新年

新年が明けた。
あけましておめでとうございます。このブログも、誰が読んでくださっているのかは分からない、最早誰が得するのかも分からないが、細々とここまで続けてこれました。本当に読んで下さった方、ありがとうございます。今年も誰が得するのか分からない記事をどんどん更新していきたいと思いますので、暇過ぎてすることがトイレに行くことくらい、みたいな時にでも読んでくださったらと思います。

さて、まず大晦日、一年をざっと振り返った時に一番に頭に上ったのが、自身の情緒不安定さであった。急に怒る、急に泣く、かと思えばいきなりゲラゲラポーとか言い出す。と、思えば泣きながらサカナクションのグッドバイを熱唱、みたいな、本当に訳分からん状態になってしまって周囲に多大なる迷惑を掛けてしまった。親や友人、フォロワーさん達は非常に不愉快な思いをしたことだろう。何より私が一番自分に対して不愉快であった。

受験が控えている故なのか、はたまた今まで見て見ぬふりをしていただけなのか、とにかく自分の闇の部分と対峙し続けた一年だったように思う。他人に対して羨んだり妬んだり、あるいは蔑んだりし、そしてそんな自分に嫌悪する、という負のスパイラルがぐるぐる回り続けていた。自意識ばかりが研ぎ澄まされてゆき、他者に対する配慮が全くなくなってしまったのである。

私は先にそれを受験のせいかも、というようなニュアンスで述べたが、難関大受験を予定しているクラスメート達は皆菩薩のような笑みを浮かべていて、皆善意の塊のようであるのだから、自分ばかりが物凄くドス黒い生き物なのではと感じさせられた。周囲が純粋さにキラキラしているのである。私の周りだけが禍々しい漆黒のオーラをムラムラと燻らせている。そんな感覚を抱きながら教室に入っていくのは本当にしんどかった。

毎日、縋るように電車の中で音楽を聴く。そして勉強の合間に家族や友人と話したり本や漫画を読んだりする。そんな時間が本当に、私をどん底まで沈むことを引き留めてくれたものであった。前回の記事にも書いたような気がするが、改めて人間や表現というものの重要さを感じたのも昨年だったと思う。なんだかんだ言って、クラスメートの菩薩顔が般若顔になる程結構ライブにも行っていた。漫画や本に関しては、むしろ受験期前よりも買っていたし読んでいた。あれ、私頑張ってない。

いやー、しかし本当に、その限られた時間に吸収するからこその感慨みたいなものがあり、普段感じられないことも感じられたので、そういう意味では受験に感謝せねばならないのかもしれない。バンドも今年は色々なバンドを聴いたし。色々な漫画も読んだし。充実していた。意外と。

そして、2014年、記念すべき出来事があった。
憧れ続けて早5年目の後藤正文氏のサインを頂き、握手をしていただいたことである!
すげぇ嬉しくて、未だに氏の手の温度を覚えているくらいである。ぬるめであった。...あかん、どきどきしてきた。
あの時、緊張しすぎて、氏に「(ゴッチTeeにサインしてもらってから)ソロのライブの時に着て行きます!」としか言えなかったのが少し心残りである。ありがとうございますも言えたかどうか分からない。ちゃんと言いたかったなぁ。お陰でそう言った後、氏に「ふっ」と鼻だけで笑われてしまった。何とも悲しかった。

そんなこともあって、まぁこの無駄に長い記事で何が言いたかったのかというと、もし他人に負の感情を向けてしまうことに対して悩んでいる方がいたら、それはあなただけではありませんよということ、そして周囲の色々な自分を励ましてくれるものは大切だということ、そしてやはり後藤正文氏は素敵だったということである。というか、世の中には素敵なものが沢山ありますね。次の記事以降、もし時間があったら、昨年出会った素敵な音楽や漫画、本等をぼちぼち紹介していきたいと思っております。

一年、そして今までありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。