偏屈士日碌

アジカンを筆頭に邦ロックやアニメについてつらつらと。

20回転

最近、めちゃくちゃくるりを聴いている。

 

大学に入学し、軽音サークルに入ってから勧められた音楽を手当たり次第に聴いているような日々を過ごしているうち、自分は一体どんな音楽が好きなのか、今までどんな気持ちで音楽を聴いていたのかが段々と分からなくなってしまった。軽音サークルの影響か、「こんな音楽を聴いてるのがかっこいいのかしらん」「こんな音楽を聴いてたらダサいと思われんのかな...」などと要らんことをいい年してゴチャゴチャ考えてしまい、音楽に真摯に向き合えなくなってゆく地獄...。そのうちなんだか音楽を聴くこと自体も嫌になってしまい、しばらく音楽と距離を置いてみることにした。

 

そんな中、友人とどういう経緯かCOUNTDOWN JAPAN15/16に行くことになった。くるりは前から普通に聴いてたのでまあいっちょくるりでも見ますか、的なノリで友人を無理やり引きずり、くるりのライブを初めて見に行った。

岸田さんの和やかなMCにいいバンドやなあと思っている中、「ばらの花」の演奏が始まった。「ジンジャーエール買って飲んだ こんな味だったっけな」......当時色々と苦しいことがあったからか、この一節が妙に沁みてきた。気付いたら泣いていた。

 

それからサークルの知人にベストオブくるりを借りて聴いたらそれもめちゃくちゃよくて、どんどんくるりにハマっていった。くるりだけはすごくしっくりときて、久しぶりに純粋な気持ちで音楽を聴けた気がした。「何か音楽詳しいっぽい人が聴いてるから聴こう」とか、そんな気持ちでなく、「今聴きたいから聴こう」と思って聴くことが、数年ぶりに出来たのであった。

 

何故今になってそんなにしっくりときたのだろうか...。正直、高校生の頃も聴いてはいたが、今ほどハマりはしなかった。あの頃より人生経験をしたからなのかは分からんが、歌詞とかリフとかがいちいち沁みる。通学中に電車の窓を眺めて「今日も辛かったなあ」とか思うのに最適な音楽なのである。

 

毎日ツイッターを介しての知人友人の監視しかしていないアフォアフォ大学生なので、些細なことでイライラしがちである(こいつら公然の場でノロけやがって殺すぞ、いちいち自撮り載せんなブス、など)。そんなトゲトゲした心情を、必死に『くるりの20回転』を聴いて宥めている。くるりがいなかったら私はもしかしたら誰かをぶん殴ったりしていたかもしれない。そしたら捕まって家族を悲しませてしまうところだったので、くるりは偉大である。

 

こんなに特定のアーティストばかり聴くのは本当に久しぶりである。一時期アジカンにどハマりしていた時を思い出して、なんだか懐かしい。忙しくて心身に余裕がない日々が続いているが、余裕ができたらくるりを聴きながら京急鉄道に乗りにでも行きたいなあ。そんな心情である。

 

 

四畳半的京都探訪

私が京都に行きたい、と切望してからどれだけの月日が経ったろうか。森見登美彦氏と運命の出会いを果たしたのが中学二年の春のことであったから、少なくとも5、6年は経っているといえる。修学旅行も何故か沖縄や九州に飛ばされ、「京都に行きたい」と泣きながら父に懇願しても「暑いから嫌」「金がない」などと一蹴され続け、ついにその願いは一生叶わないものなのではないかと諦めかけていた。しかしここで予想外の展開が訪れた。

 

それは今年の7月に遡る。小説の舞台探訪をテーマに掲げた大学の講義で森見登美彦氏の『新釈 走れメロス』が取り上げられた回があった。スキンヘッドの教授が延々と作品の舞台を散歩する映像が垂れ流されているのを学生がスマートフォンをいじりながら過ごしている最中、私は激しい衝動に突き動かされていた。突然「京都に行きたい!」と叫びたくなるほど京都に行きたくなったのである。受験して文学部に入ったにも関わらず、受験期以降文学から疎遠になり、SNSに阿呆なネタツイートでいいね数を稼ぐことにのみ精を出していた私に、突然6年前、『四畳半神話大系』と運命の出会いを果たした時と同じくらい強い衝動が蘇ってきたのである。居ても立っても居られず、試験前にも関わらず一人で京都に行く方法を調べ、実行しようとした。そこで両親に「一人で京都に行こうと思う」と告げると、両親は「お前は危ないからダメだ、一人で行って死んだらどうする」と必死で引き止め、あんなに億劫がっていた父がいつの間にか宿の予約まで済ませていた。両親が過保護過ぎるのもあるが、一人で出かけて階段から滑り落ち、意識を失いかけたことがあったほど私があまりに危なっかしいからというのが大きいのであろう。

 

そうして遂に6年越しの願いが実現し、現在私は京都にいる。6年越しの願いが実現した私は、肌が燃えるような暑さで死にそうになっている中年の両親に見向きもせず、ひたすら京都の街を引きずり回した。四条大橋を見物し、木屋町付近の喫茶店で客に睨まれ、鴨川デルタを渡り、蹴上インクラインの凄まじい水勢に圧倒された。散歩しているうちに「京都中を一人で散歩したいなあ、鴨川デルタの真ん中で樋口師匠のようにマンドリンを弾き語りたいなあ」などというような欲が出てきてしまい、京都にいながらまたしても居ても立っても居られなくなってしまった。「どうして頑張って勉強して京都大学を目指そうと思わなかったのだろう」とさえ思った。

 

京都には不思議な力がある。読書も碌にせず、文章もほとんど書かなくなってしまった阿呆学生の私が、こんなに長文のブログを書いてしまった。「やはり文学的な思考に陥らせる力が、この街に潜んでいるのやも知れぬ」と調子に乗って、筆をとった次第である。

 

 

 

2014年ベストトラック ストレイテナー編

2014年どころか2015年も3ヶ月過ぎ、最近暖かくなってきた今日この頃だが、ようやくベストトラックの続編を更新しようと思う。

今回は2014年最も聴いていたと言っても過言ではないバンド、ストレイテナーのアルバムについて書こうと思う。

ストレイテナーは今年「Super Magical Illusion」「冬の太陽/The World Record」と二枚の先行シングルを発売、その後「Behind The Scene」を発売した。

先行シングルがかなり良くて、アルバムもかなり期待していたのだが、その期待を裏切らない、今までのキャリアを総決算したようなアルバムであった。

ギターの大山純さん加入前のメロディアスな楽曲、そして加入後の奥深いロックテイストの楽曲が両方入っている二部構成的な作品で、今まで培ってきた経験値が存分に発揮されているような、そんな印象を受けた。このアルバムの前半(一曲目と二曲目は例外だが)と後半では全く楽曲のテイストが違うが、どちらも凄くクオリティが高い。まず一曲目の「Asshole New World」からの入りがめちゃくちゃかっこよすぎる!この曲は骨太のロックチューンで、テンションが一気に上がる楽曲。あとは、「彩雲」という曲がとても好きでよく聴いている。この曲はキャッチーでメロディアスな楽曲なのだが、時々入るひなっちのベースが良いパンチになっている。好き。

去年はこの新アルバムも聴いていたのだが、今までのアルバムの良さを再発見することも多かった。特に「ネクサス」と「Resplendent」の良さは聴いた当時あまり感じることが出来なかったのだが、久しぶりに聴いてみるとすごくかっこよくて、今でもよく聴いている。サウンドが深い。そして骨太ながら美しい。そんな楽曲ばかりである。

ストレイテナーはもっと評価されるべきバンドであると思う。確かにキャッチーさはあまりない。しかし流行に呑まれず、ひたすら自分達のやりたい音楽を思う存分鳴らし、楽曲のクオリティを求め続けている。何とストイックなバンドであろう。これからもストレイテナーにはその姿勢を貫き通していて欲しい。これからも応援していきます。

ストレイテナーのライブには今まで一回も行ったことがない(2012年のナノムゲンのみ)ので、今年こそは行きたいなぁ。




卒業(間近)

2014年ベストトラックストレイテナー編を書こうと思っていたのだが、なんだか自分が卒業することばかり考えてしまったので、予定を変更してそちらを書こうと思う。

意外にあっけなく、大した実感もないまま卒業前日を迎えてしまった訳だが、思い返してみると色々と感じるものがある。色々あったなぁとか。色々ありすぎてあんまり覚えてないなぁとか。あれ、全然思い出せないぞ。体育の授業が嫌すぎて朝の電車で腹が痛くなっていたことくらいしか思い出せない。受験期の体育は地獄であった。家に居ても地獄(勉強しなければいけないので)、学校に行っても地獄、みたいなそんな苦痛の極みみたいな生活が半年以上続いたのは流石にしんどかった。しかもその頃あまりに精神不安定だったが故にクラス内で上手くいっていないことも多く、まさに病み期ピークであったのも鮮明に思い出せる。普通こういうのは楽しい記憶ばかりが思い出されるものだが、不思議と苦痛だった記憶しか蘇って来ないものだから卒業に対する感動だとかそういうものがぶち壊しである。

まぁそういう卒業への感慨をぶち壊してしまうのを覚悟で正直に言ってしまうと、中高生生活は辛いことばかりであった。自分が何者か分からなかったので、高校三年間はクラス内で居場所を見出せず終いだった。他人の顔色を伺い、嫌われぬようにと必死で笑顔を浮かべた。常に根底に深く根付いているコンプレックスに苛まれ、他人から見下されている感じがしていた。長所が無いのではと悩み、家で号泣していた日々も少なくない。どこかに行きたいというよくわからない衝動に突き動かされながらも、どこに行く金も度胸もあてもなかった。そういうときはかっこいいロックを聴いていた。ミュージシャンに自分を重ねて脚光を浴びている妄想に駆られていた...。

何だかモテない中二男子のようであるが、本気でそんなことを毎日考えていたのである。そして今もそうである部分が結構あるから(特に後半部とか)、笑えなくて余計に悲しさが増してきた。違う意味で泣けてくる。

しかし、思春期というのはこういうものではないのかなとも思う。楽しそうに笑顔を浮かべていた同級生も、どこかで泣き叫んでいたのかもしれない。完璧に見えていた子も、何かしらのコンプレックスに苛まれていたのかもしれない。今になってみると、そんなことを考える。

勿論、楽しいことも沢山あった。担任教師をストーキングしたり、友達が留守の間机にアニメのカードを大量に並べて嫌がらせしたり、遅くまでたわいもないことで立ち話したり。そういうことは本当に楽しい時間であったし、この頃でしか経験出来ない、貴重な時間であったと思う。私の良き理解者も出来た。辛い思いは沢山したが、学校に行かなければ手に入らなかったことも沢山あった。女子校だったのでリア充的なときめきとか色恋沙汰とかは皆無であったが、まさに青春を謳歌していたのだと思う。当時の私は全くそんなことを考えていなかったけど。

不自由な制服に身を包み、狭い教室で集団行動を強いられる、そんな生活からついに解放される。しかし、ちょっと寂しい気もする。そもそも私服そんなに持ってねぇし。レパートリー少ねぇし。という文句が最近の我々の主な会話ネタである程である。不自由なくらいが丁度良かったのかもしれない。

大学に対して早くも不安が山積みであるが、家計を切り詰めながらも今の学校に通わせてくれた父親と相談相手になってくれた母親、こんな私と長年付き合ってくれた友人らに感謝しつつ、とりあえずしっかり卒業を迎えたいと思う。さらばだ、JK!


2014年ベストトラック アジカン編

今回から、何回続くか分からんが、2014年にええなーと思った音楽やら漫画やらを自己満足で紹介していこうと思う。

...分かる方にはお分かりであろうが、確実に某氏のパクリ企画である。リスペクト故のパクリである。もうオマージュなどという曖昧模糊な言葉で誤魔化すことはしなく断言しよう。ファンの方からの非難が怖いからである。
 

んで、最初に何を書こうかと思った際に、色々悩んだのだが、悩んでいる間にアジカンのことばかりが思い出されたので、アジカンのことから紹介することに決定した。というわけで、昨年度のアジカンのことについて書いてみたい。センター一週間前だけど。

 

昨年のアジカンであるが、アジカンとしてのリリースは少な目で、フロントマン、後藤正文氏のソロの活動がメインであった。氏のブログでも自認している。

後藤氏は震災後からコツコツと溜めてきたソロ曲を、初のソロアルバムとして発売した。

アジカンファン、しかもリライトからアジカン聴いてねぇ、という人ならば確実にびっくりするであろう。エモという要素は全くなく、非常にゆったりとした、インディーというか、USオルタナティブというか。残念ながら私は音楽にあまり精通していないので、そういう音楽を形容する言葉がわからないが、まぁ、そんな感じの曲調である。とにかくラフで温かい。どこか懐かしい。生活の片隅にさりげなく鳴っている音楽、といった印象である。

歌詞も、抽象的な表現が多かった初期〜中期アジカンとは違い、非常に生活感の溢れたものになっている。後藤氏の歌詞に「キャバクラ」という単語が出てきた時にはすごく驚いた。勿論、氏がキャバクラに行きたい〜、だとかそういう内容ではなく、メッセージを伝える上での一例として出てきた表現であったが、それにしてもびっくりした。

というか、これはソロの活動に限らず、抽象的な表現が少なくなったという点では「マーチングバンド」以降のアジカンにも共通して言えることではないだろうか。それから、三人称視点での歌詞が多くなった気がする。今までは「僕」と「君」が多用されていた一人称の歌詞であったが、最近では「少女」とか「少年」とかの心情を描写した三人称視点の歌詞が多い。後藤氏の父性本能の現れかしらん、と私は勝手に想像している。

一昨年のアルバム「ランドマーク」ではあいうえお作文式や数字を頭文字にして歌詞を作るなど、色々な試みに挑戦している。後藤氏の進化は止まらない。今後はどういう歌詞になっていくのか、期待である。

 

さて、アジカンであるが、アジカンの新曲はナノムゲンコンピ収録の『スタンダード』、スカパラとのコラボ曲『Wake up!』の二曲のみであったが、どちらも良曲である。

 

 

スタンダードは、まるでアップデート版リライト、といったような曲構成である。Aメロ、間奏を挟んでBメロ、そしてサビで一気にドーン、という初期アジカンらしい曲。だが、音は昔のよりもかなり丸くなっており、全体的な楽器の音も柔らかくなった印象を受ける。そして、やはり私は焦点が歌詞にいってしまうのだが、この曲の歌詞もやはり三人称視点であり、その点でもアップデートされたと感じる。疾走感があり、爽やかで、それでいて落ち着いた曲。

 

Wake up!の方は、スカパラとコラボすると聞いた瞬間どうなるんやろかと思案していたが、流石大御所コラボ、素晴らしく綺麗にまとまった。両者の良さが相殺されていない。それでいて明るくキャッチーである。スカパラアジカンと亀田さんのコラボはやはりすごい。テイストの違うバンドをよくコンパクトに融合したものだと思う。

コラボ曲つながりで、昨年は他にもたくさんの名曲に出会った。スカパラとハイエイタス細美さんとのコラボもすごくいい曲だし、10-FEETスカパラのコラボもかっこいい。スペアザのコラボアルバムもすごく良かった。

 

あ、あれ、良さを紹介するはずが、偉そうにべらべら語ってる記事になってしまったぞ。ファンの方、本当にすみません。なんか物知り顔でほざいてやがるな、程度に流していただければと思います。

 

では。

新年

新年が明けた。
あけましておめでとうございます。このブログも、誰が読んでくださっているのかは分からない、最早誰が得するのかも分からないが、細々とここまで続けてこれました。本当に読んで下さった方、ありがとうございます。今年も誰が得するのか分からない記事をどんどん更新していきたいと思いますので、暇過ぎてすることがトイレに行くことくらい、みたいな時にでも読んでくださったらと思います。

さて、まず大晦日、一年をざっと振り返った時に一番に頭に上ったのが、自身の情緒不安定さであった。急に怒る、急に泣く、かと思えばいきなりゲラゲラポーとか言い出す。と、思えば泣きながらサカナクションのグッドバイを熱唱、みたいな、本当に訳分からん状態になってしまって周囲に多大なる迷惑を掛けてしまった。親や友人、フォロワーさん達は非常に不愉快な思いをしたことだろう。何より私が一番自分に対して不愉快であった。

受験が控えている故なのか、はたまた今まで見て見ぬふりをしていただけなのか、とにかく自分の闇の部分と対峙し続けた一年だったように思う。他人に対して羨んだり妬んだり、あるいは蔑んだりし、そしてそんな自分に嫌悪する、という負のスパイラルがぐるぐる回り続けていた。自意識ばかりが研ぎ澄まされてゆき、他者に対する配慮が全くなくなってしまったのである。

私は先にそれを受験のせいかも、というようなニュアンスで述べたが、難関大受験を予定しているクラスメート達は皆菩薩のような笑みを浮かべていて、皆善意の塊のようであるのだから、自分ばかりが物凄くドス黒い生き物なのではと感じさせられた。周囲が純粋さにキラキラしているのである。私の周りだけが禍々しい漆黒のオーラをムラムラと燻らせている。そんな感覚を抱きながら教室に入っていくのは本当にしんどかった。

毎日、縋るように電車の中で音楽を聴く。そして勉強の合間に家族や友人と話したり本や漫画を読んだりする。そんな時間が本当に、私をどん底まで沈むことを引き留めてくれたものであった。前回の記事にも書いたような気がするが、改めて人間や表現というものの重要さを感じたのも昨年だったと思う。なんだかんだ言って、クラスメートの菩薩顔が般若顔になる程結構ライブにも行っていた。漫画や本に関しては、むしろ受験期前よりも買っていたし読んでいた。あれ、私頑張ってない。

いやー、しかし本当に、その限られた時間に吸収するからこその感慨みたいなものがあり、普段感じられないことも感じられたので、そういう意味では受験に感謝せねばならないのかもしれない。バンドも今年は色々なバンドを聴いたし。色々な漫画も読んだし。充実していた。意外と。

そして、2014年、記念すべき出来事があった。
憧れ続けて早5年目の後藤正文氏のサインを頂き、握手をしていただいたことである!
すげぇ嬉しくて、未だに氏の手の温度を覚えているくらいである。ぬるめであった。...あかん、どきどきしてきた。
あの時、緊張しすぎて、氏に「(ゴッチTeeにサインしてもらってから)ソロのライブの時に着て行きます!」としか言えなかったのが少し心残りである。ありがとうございますも言えたかどうか分からない。ちゃんと言いたかったなぁ。お陰でそう言った後、氏に「ふっ」と鼻だけで笑われてしまった。何とも悲しかった。

そんなこともあって、まぁこの無駄に長い記事で何が言いたかったのかというと、もし他人に負の感情を向けてしまうことに対して悩んでいる方がいたら、それはあなただけではありませんよということ、そして周囲の色々な自分を励ましてくれるものは大切だということ、そしてやはり後藤正文氏は素敵だったということである。というか、世の中には素敵なものが沢山ありますね。次の記事以降、もし時間があったら、昨年出会った素敵な音楽や漫画、本等をぼちぼち紹介していきたいと思っております。

一年、そして今までありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。



管理人、ナーバスにつき

最近、フラストレーションが溜まって仕方がない。

受験が近付いてきているからなのか、もう勉強することが嫌になってきているからなのかは分からんが、とにかく、すげぇイライラする。ブログに「すげぇ」とか書くくらいイライラしている。少しままならないことがあると、忽ち洗濯機を破壊したくなる衝動に駆られる。何故洗濯機なのかは分からない。洗濯機に罪はない。むしろ洗濯機は私たちの服についた汚れを綺麗に洗浄してくれる有難い家電である。洗濯機はやめよう。高いし。

とにかく、最近感情の起伏が凄まじいのである。怒りだけではなく、悲しみ、喜び、感動といった感情が昨年よりも3倍増しくらいに感じられるような気がする。ちょっと面白い本や漫画を読んでいると声を上げて笑ってしまうし、感動する曲のフレーズを思い出すと、そこが風呂場であれトイレであれ涙ぐんでしまう。感受性を包んでいた皮みたいなものが剥がれて、剥き出しになっているような、そんなイメージ。胸も腹も痛くなることが多くなったし、自分でも引くくらいの神経の過敏さである。

そんなフラストレーションの表れなのか、本や漫画、CDなども受験生らしからず、めちゃくちゃ買ってしまった。小説2冊、漫画3冊、そしてCD2枚。まぁこれはこれでどれも非常に素晴らしかったので良かったのだが、なんというか、もう受験生(笑)みたいな状態になってしまっている。しかし、どうしようも衝動を抑えることが出来ない。

背徳感のせいもあるのだろうか、受験期には、改めて娯楽に支えられているのをしみじみと感じる。その時だけ、私は過酷な現実から逃れられる、否、現実を直視しながらも、新しい世界を自分に与えてくれるのだ。昨日読んだ日々ロックも素晴らしかったし(結構下品だったが)、昨日買ったサカナクションの新曲もストレイテナーの新アルバムも良作であった。それだけで、私は救われた気分になる。だいぶ古いが「地球に生まれて良かったァー!」と叫びたくなる。

そして、娯楽と同じくらい...と言ったら失礼だと思う人もいるかもしれないが、いい意味で同じくらい大事な存在がある。それは、私がどれだけ洗濯機を破壊しようが、どれだけ叫んでいようが暖かく見守って、仲良くしてくれている友達と家族である。またきれいごといいやがってこのクソアマ、と言う人がいたりいなかったりすると思うが、これは本当に、リアルに最近実感したことだ。卒業しても付き合いが続きそうな友達かそうでないかという基準が段々と分かってきた。私がいくら暴走しても、仲良くしてくれる。嬉しいことに、そのような友達が、何人か出来た。そんな人たちと娯楽があれば、私はどこまでもいける気がする。

結局、何が言いたかったんだっけ。眠くて忘れてしまった。
買った本や漫画やCDの感想を語ろうとしていたんじゃなかったかしらん。単なるフラストレーションときれいごとみたいな記事になってしまった。まぁいいか。とりあえず寝る。