偏屈士日碌

アジカンを筆頭に邦ロックやアニメについてつらつらと。

ラストライブ2014

眠い。
ライブ疲れでめちゃくちゃ眠い。
三時間分の疲労が一気に足に溜まってきているのが分かる。普段持久力が皆無な私が無理をして飛び跳ねていたからであろう。

というわけで、NO NUKES2014に行ってきた。先程。
まだ終わった直後で感情が整理出来ていないのだが、とにかく、本当に素晴らしいライブであった。このライブを2014年、受験生として最後のライブにしようと決めていたのもあったからか、すごく特別な、ある種記念碑的なライブになった。

正直に言ってしまうと、当初は行く気が全く無かった。だがまぁ色々な経緯があり、半ば勢いで「これで受験生最後にするから!もうライブやめるから!」とアルコール中毒者のようなことを自分に言い聞かせ、ついに行くことにしたのである。まさか、結果的にアジカンのワンマンになるとは思っていなかったが。

ライブはツーマンの予定であったが、出演予定であった坂本教授も、その代わりで出演することになった難波さんも二人とも喉を負傷してしまったため、急遽アジカンが前半と後半に二回出てくるという謎の形式(ゴッチ曰く)のライブとなった。前半はシモリョーさんを入れた五人編成、後半はアジカンの四人編成という構成である。

ライブは「新世紀のラブソング」からスタート。初っ端から私がアジカンに初めて出会った、思い出の曲である。演奏を聴きながら、やっぱりこの曲の歌詞すごい好きだなぁ、とか、当時は歌詞の意味全然分かってなかったけど何か中毒になっちゃってたなぁ、とか、色々なことが脳裏を駆け巡った。今回は、そんなことばっかり考えていた気がする。迷子犬やソラニンなど、私がアジカンにハマるきっかけとなった曲を何曲もやってくれたので、初めて聴いた時のことや、アジカンの今までのライブなどを、一人でヘドバンしながらぼんやり思い出していた。

アジカンは私の視界を180°変えてくれたバンドである。アジカンとの出会いは、ただの阿呆でテレビの前で「やべぇ、銀魂超面白え」とか言いながら鼻をほじっていた私に最も大きな衝撃を与えた。もっとも、ハマった当初はアニメの主題歌で、かつレンタルショップに陳列されていたので気紛れに借りてみたに過ぎなかったのだが。それがここまで私を変えるとは、全く予想だにしていないことであった。

人生とは分からないものだとよく言うが、そんな偶然の中で、一番感謝していることはアジカンとの出会いである。出会えてなかったら、今頃私はどうなっていたのだろうか。きっと、二次元のイケメンにハァハァし、ひたすら「萌ええ」と叫びながらアニメイトに入り浸っていたことであろう。バンドにも音楽にも、ここまでのめり込むことはなかったかもしれない。音楽が、文学が芸術が、こんなに多大な力を持ち、世界を変える力があるということなども知らずに生きていたと思う。アジカンに出会って、全てが変わった。視界が広がった。改めて今日はそれを思い出した。

私が政治にこんなに興味を持ったのも、アジカンがきっかけである。
今頃、アジカンに出会えていなかったら、原発の存在すらもよく知らなかっただろうと思うと、自分が心底恐ろしい。あまりに国民という意識がなさすぎた。本当に無関心だったし、興味を持とうとも思わなかった。NO NUKESなんてイベントに参加しているなど、中学一年生の私は想像もしていなかっただろう、というか、イベントの存在すら知らなかったか。いやー、恐ろしい。本当に。

まぁ、実際、今でも政治のことはすごく分かっているというわけではない。新聞だって読んでないし、原発をこれからどう解決していけばいいのか、断言することも出来ない。今までよりも関心を持つようになったというだけで、社会には全く参加出来ていないというのが実情である(まだ社会人でもないし)。だけれども、アジカンに出会って、私は何かに向かって立ち上がる勇気と、かっこよさを教えてもらった。スコットランドで独立しようと運動が起きていて、中国で共産主義をひっくり返そうとデモをしているように、社会の流れを変えるような、そんな行動を起こすことの重要さを教えてもらったのである。

アジカンを聴いて政治に関心を持った、というファンの方は多いのではないだろうか。こうして、徐々に立ち上がる人が増えていけばいいんじゃないかなぁ、と思う。昨夜のゴッチがMCで言っていたように、どうしたらいいのか話し合って、「新しい循環」を、新しい社会を少しずつ作っていければいいのではないか。アジカンを聴いた人が触発されて、政治的な表現をしていけば、距離も少しずつ縮まっていく。これこそが、ゴッチの言う「新しい循環」なのではないか。

常に政治と社会にメッセージを投げかけるアジカンを、これからも応援していきたい。そして私自身も、何らかの行動で立ち上がっていきたいと思う。


オチが分からなくなってしまった。
えーと、長々と書いてきたが、一番言いたかったことは、アジカンに出会えて良かったということである。本当はもっと文学のこととかも色々書きたいことがあったのだが...仕方ない。私の力量不足。

受験勉強へのいい息抜きになるかと思いきや、逆に素晴らしすぎてやる気が削がれてしまったけれども、今日もアジカン聴いて頑張ります。


光れ 言葉よ それが魂だろう 
闇を照らしてどこまでも 行け
(マーチングバンド/ASIAN KUNG-FU GENERATION)





※昨日夜中に書いている途中で寝てしまったので、時間的に誤差があります。すみません。


思考停止社会

最近、主に東京の池袋などに大量発生している「痛バッグ」というものをご存知であろうか。

痛バッグとは、そのまま「痛い」バッグである。
説明を放棄しすぎた。簡単に言うと、アニメキャラクターの缶バッジやストラップ類を、大きいトートバッグに大量に付けたもの、その物体をいつからかオタク達は「痛バッグ」と呼ぶようになった。

痛バッグには、たいてい、その持ち主が好きなアニメ作品の1人のキャラクターの缶バッジやらストラップ類やらが大量に付いているのだが、その最大の特徴は「同じデザインや同じ絵柄のストラップ、缶バッジを複数個(それも10個以上)付けること」である。これは、見慣れてない人や非オタクの一般市民から見れば、きっと驚愕の光景であることだろう。

そんな痛バッグの所有者は、池袋にいる女性のアニメオタクが多い。というか、私が見かけた限りでは女性しかいない。男性の場合は、自分でグッズを集めてバッグを作ったりせず、元々アニメキャラクターがプリントされて販売されているバッグを買って、所持しているようである(それも少数派だが)。

では一体、何故そんなバッグを作る人が急増したのか。
これはあくまで推論に過ぎないが、今日友人と話していて浮上した一つのきっかけは、二次元のアイドルの出現である。

今まで、ジャニーズのような男性のアイドルを題材にしたアニメはありそうであまりなかった(きらりんレボリューションのように、脇役で男性アイドルが活躍するアニメはあったが)。しかし、2011年に、男性のアイドルを主題に扱ったアニメが登場した。そのアニメが「うたの☆プリンスさまっ♪」である。

乙女ゲーム原作のこの「うたプリ」は、すごく簡単に言ってしまうと主人公の女の子(ゲームでは自分という設定)が、アイドルを目指すイケメン青年達と恋愛をするというものである。実際そのキャラクター役の声優が歌を歌ってCDを出したりしており、まさに二次元上のアイドルとも言うべき存在となっている。

そのゲームがアニメ化してから人気は爆発的に増え、CDもゲームもDVDも、そしてグッズも飛ぶように売れ、そんな中で次第に「痛バッグ」というものをぶら下げて歩く女の子が徐々に出現していったのである。

日本人というのは非常に他人の影響を受けやすい民族なので、それを見た女子達は「うわぁ、いいなぁ」と思ったのかは知らんが、気づいた頃には周りは痛バッグだらけ、池袋がオシャレな若者の街と呼ばれた面影は今や過去の残像となり、すっかりオタクな若者の街となってしまった。もちろん、「うたプリ」以外の作品の痛バッグをぶら下げている人も沢山存在している。

この「うたプリ」の流行が象徴しているように、私は最近、「アニメのアイドル化」が進んでいるように思えてならない。

昔ジャニーズファンがぶら下げていたバッグを思い出していただきたい。私の姉は熱心な嵐ファンだったため、プラスチックのバッグに櫻井翔の切り抜きを大量に貼っていた。今まさに起こっているのはその二次元バージョンではないだろうか。

アニメとはエンターテイメントであるという前に、作者の思想やメッセージを込めた芸術作品である。もちろん、一つのアニメ作品を作るのにも膨大な時間と手間が掛かるから、作者だけでなくその制作に携わった人達の想いも込められているだろう。私は実際に携わっていないので偉そうなことを言える立場ではないが、一コマを描いた一枚が、アニメにして一秒にも満たないことを考慮すれば、どのくらい大変な作業かは想像に難くない。

そんなアニメ作品を、まぁ元々「うたプリ」のように主題をアイドルにしているアニメは別の話になるかもしれないが、簡単に「このキャラがかっこいい」という感情だけで受け取ってしまって良いのだろうか。はっきり言ってしまうと、痛バッグを作っていたり、グッズを大量購入している人達は、そのアニメに、心からそのグッズ量に見合う程の感動を感じ、考えたことがあるのか、と私は疑問に思えてならない。

これは何も、女性だけに言えることではない。
だいたいアニメオタク、と言われて想起されるのは、恐らく可愛い女の子が登場するアニメが好きな男性であろう。もっとも、今はかの電車男のような風貌のオタクは少なくなってきたものの、未だに美少女が登場するアニメが人気を博しているのは事実である。
そして、かつて話題になったように、女性のように顕著に外見に表れなくても、大量にグッズを集め、部屋を好きなキャラクター塗れにしている人もだいぶ前から存在していた。オタクを象徴する「萌え」という言葉が表している通り、このアニメアイドル化現象は、実は10年前くらいからも存在していたのである。それが今や当たり前になり、いつの間にかキャラクター重視のアニメ産業が広まってきてしまったように思う。

今までアニメオタクに焦点をあててきたが、このことは現代のものほとんどに当てはまると思う。
例えば、最近流行ってきた音楽ロックフェスにも同じことが言える。音楽ロックフェスではモッシュやダイブといった行為が当たり前になっているようだが、私は単純に、それをすると音楽を聴いて味わうことはあまり出来ないのではないのか、と思えてくる。音楽を聴いていて気分が高鳴ってしまった結果、モッシュやダイブをするのだというのなら全く構わないが、モッシュやダイブをするためだけにフェスに来ているような人が、最近は見受けられるように思える。ついこの前ツイッターで見かけたフェスでの痴漢行為が良い例である。高い代金を支払ってまで来た好きなミュージシャンのライブで、急に性欲が掻き立てられて痴漢行為に走る、というのは、そのミュージシャンの本当のファンだとすると、あまりにも理解し難い思考回路である。

長々と悪口しか書いて来なかったが、決して誤解しないでいただきたいのは、グッズを集めている人皆、フェスに来てモッシュやダイブをしている人達皆を批判しているつもりは毛頭ないということである。
そのキャラクターが登場するアニメが本当に好きで、心から感動したという人が痛バッグをぶら下げていたりグッズを集めていたりしても一向に構わないし、前述した通り、本当にそのミュージシャンの音楽や思想に感動して、そのテンションの高ぶりでモッシュやダイブをするのは全く構わない。

ただ、芸術作品を吟味せず、思考することがなくなったら、芸術作品は間違いなく衰退していく。アニメの制作側も「難解な内容、深刻な内容は売れない。ビジュアルをかっこよくして人気声優を起用した方が圧倒的に売れる」と思ってしまえば、メッセージ性の強いアニメ作品は減ってくるだろうし(既にそう思い始めてきているような気がするが)、音楽に関しても「難解な音楽は盛り上がれないし、ウケない。盛り上がれるようなキャッチーな曲の方が売れる」と思って、深い、示唆に富んだ音楽は無くなってしまうだろう。

今まで誰目線でものを語っているんだ、と思われていたかもしれない。それは私もこの記事を深夜に打っていてひしひしと感じていたことである。これ、載せたら次の日私のブログは炎上するんじゃねぇかなと。

ただ、何も創作もしていない私が、一ファンとして、受験勉強を放棄してまで主張しておきたかっただけなのである。

そういった芸術作品の衰退、そして何もかもが見かけの愛情で示され、深く思考することなく物事が受け取られる傾向にあるインスタントな現代に、私は一人の消費者として違和感を感じているだけなのである。


長々と申し訳ない。もしここまで読んで下さった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。

バンアパ

後藤正文氏のブログで、The band apartというバンドが「2013年のベストトラック」として紹介されていたので、最新作である「街の14景」というアルバムを借りて聴いてみた。

これがなかなかに衝撃的であった。
最初に聴いた曲が「ノード」という曲だったのだが、今まで聴いたことのないようなギターリフ、ベースライン、そしてメロディ。初めて聴いた瞬間、「!?」となった。以来癖になって何回か聴くようになり、段々と耳から離れなくなってしまった。この現象はフジファブリックの「銀河」以来である。

このバンドはメンバー全員が作曲に参加しているようで、アルバムの中でも曲のテイストが変わるのがまた面白い。ノードのように個性的な曲もあれば、プログレチックのような曲もあるし、アコースティック調の曲もある。ただ、一貫してどの曲もお洒落。今まで聴いたことのないタイプのバンドだっただけに、凄く新鮮であった。

こういう音楽との出会いも面白い。今年は狭い枠にとらわれず、幅広い音楽を聴ければと思っている。音楽偏差値を上げねば。


ゆく年くる年

年が明けた。皆さんあけましておめでとうございます。昨年このブログを読んでいただいた方々、本当にありがとうございました。こうして年を何とか越すことが出来ました。これからも細々と頑張っていきますので、宜しくお願いします。

昨年は外と繋がるというより、自分の中で何かをうだうだ考えている方が多かった気がする。先ほど去年は何があったっけな、と思い返していたら、自分の中でしていた葛藤と進撃の巨人の内容くらいしか浮かんでこなかった。去年、私は何をしていたのだろう。これだけではまるで私がただの暗いぼっちのオタク(進撃ガチ勢)みたいではないか。否、実際そうだったのかもしれない。...何か新年早々しにたくなってきたのでこれ以上考えるのはよそう。

しかし総合して言えるのは、昨年は「嘘」を特に意識した年だったということである。世の中の嘘、テレビの嘘、他人の嘘、自分の嘘。世の中嘘だらけなのだと、最も恐ろしく痛感した年であった。別段誰かに裏切られたとか、そういう決定的なことがあったわけではない。しかし私は他人に嘘だらけの笑顔を浮かべてるなぁとか、この人は無理して笑ってるなぁとか、そんなことを頻繁に感じていたのである。何故そんな思考になったのかはよく分からないけれど、ここ一年はよくそんなようなことを考えていた。気付くのが遅すぎたような気もするが。

テレビに出ているアイドルやアーティストは口パクやエア演奏(ゴールデンボンバーのことを言っているのではない)、東京都知事は選挙金を隠蔽し続け、身の回りの人たちはうわべだけの言葉をつらつら並べ立てる。私だってそうだ。会話の半分以上がうわべだけの言葉で構成されている。そんな世の中が、何より自分自身が、一番許せない。

今年は、できるだけ人に嘘をつきたくない。言いたいことを全て言っていたら友達は一人もいなくなるだろうが、ある程度は正直でありたい。人を傷つけまいとしてついた嘘やどっち付かずの自分の発言が、沢山の人を傷つけてきた。もう同じ轍は踏みたくない。

そして、今年の目標はまだ他にもいろいろあるのだが、だいたいそれを挙げると達成できないのでやめておく。

ともかく、皆さん、これからも宜しくお願いします。
今年も後藤正文を見習わねば。

管理人、ウイルスと闘う

二日ほど前から、ウイルス性胃腸炎を発症した。

第一の症状は早朝に私を襲った凄まじい胃の痛みである。
これはあかん、異常や、と思った私は、その一時間後くらいに起き上がり様子を見てみたがなかなか治る気配はなく、段々胃痛に気持ち悪さと腹痛が足されていく感じがする。そして数分後ついにリバースした。その後もリバースと水のような下痢が止まらなかったので近所の町医者に行き薬を処方してもらった。それを飲んだら胃痛と腹痛は治まったものの38.9℃もの高熱を出した。それが発症してから一日目のことである。

二日目からはなんとか熱も下がり、三日目である今日の昼間からはお粥も食えるようになった。しかし薬のせいかはたまた丸二日何も食べていなかったせいか、どれだけ食っても腹が減って仕方が無い。チョコが食べたい。アルフォート的なものが激しく食べたい。だが二日前に四度もリバースした胃に摂取が許されているのはお粥と林檎の絞り汁くらいである。あぁ、神様、ダイエットなんて戯言を言った私が間違いでした。もうダイエットしようなんて、言いません絶対。今はとりあえず、アルフォートが食べたい。

大事なものは失ってから初めてその重要さに気付くのである。食事制限なんて、あかん、絶対。ダイエットに精を出している若者達よ、食える時に食え。二日食っていないだけでも段々と生気を無くしていき、ついには家族と口を利く元気さえなくなってしまう。胃薬は効きすぎて逆に胃痛がカムバックするし、食わないでいい事などまるでない。人間は食わなければ死んでしまうのである。深夜にショートケーキだのアルフォートだの何でも食うが良い!若者なら運動すればそのカロリーは消費出来るのだから。

この記事を書いている今も、とにかく腹が減っている。とりあえず苺大福とアルフォートが食べたい。誰か食わせてください。

退屈を極めたり

暇である。

ようやく中間試験も終了し(私の学校は二期生であるので後期は中間試験が二回もある)、一通り模試も結果は散々ながら乗り切ることが出来た。これでギターも弾き放題、気になっていた漫画や本も読み放題である。勿論勉強はやらねばならないが、そこには敢えて目を瞑ることにする。

そんな事を思って迎えた日曜だが、とにかくやることがない。正確に言うとやる気が起こらないのである。

朝から柄にもなく勉強をしたら頭がぼんやりとし、読書にも集中できない。漫画を読む気もギターを弾く気にもならない。眠ろうとしても八時間睡眠をじっくり取った頭では寝れるはずもなく、ただこうして暇を持て余して誰が読むでもないブログを書き連ねるばかりである。あんなにも試験中やりたかったことが、今は全くやる気にならない。失ってから本当の大切さに気付くという人間の本質を、妙なところで知ることになった。

しかしそうはいっても、いつまでも部屋に引きこもってストーブにあたりながら過ごしていても仕方がないので、ちょっと出掛けてこようかしらん。と、思う。部屋の窓からは晴れ間が差し込んだ青空が見えている。何かちょっと、素敵やん。島田紳助みたいなテンションで本屋にでも行くとする。こんなおひとりさまの休日も悪くない。うむ。