偏屈士日碌

アジカンを筆頭に邦ロックやアニメについてつらつらと。

嗚呼、私の青春よ

アジカンのキモヲタである私が、アジカン以外に最近目に見えてハマっているものがある。それはポケモンである。

約一ヶ月前に父のビックカメラのポイントを使って、今更ながら買ったポケモンBW2(因みに私はブラック、母は後に母自身で買ったホワイトの方をプレイ中)がきっかけですっかりハマってしまった。やはり久しぶりにやるポケモンは面白い。初期からほぼ変わらないシステムが継続されているのにも関わらず、シンプルかつ頭脳を使うポケモンバトルや育成には面白さを感じさせられる。伝説のポケモンを捕まえるのにもついつい夢中になってしまい、運任せとはいえ捕まえた時の達成感といったらない。そして何より、今回はストーリーが深い!私がここまでハマってしまった理由は、そのストーリーの深刻さにある。

実は今までは(DPシリーズから)小学生だったからということもあってか、ストーリーをガン無視してプレイしてきた。前回のBWも同様である。何となくジム戦をこなしていき、なんちゃら団のボスを倒し、チャンピオンに勝ってイェーイみたいな、そんな感じだったのである。しかし今回だけは何故なのか、気付けばストーリーを意識してプレイしていた。特に物語の終盤。その結果、私はポケモンが子供のみをターゲットにした作品でないことを、ゲームフリークの本気を、改めて知ることになった。

今回のBW(2)は「ポケモンとトレーナーのありかた」みたいなものがテーマになっているように感じた。特にそれはNという青年の発言やアクロマという変な髪型の科学者の言動から伺える。そしてこのNの過去が結構重い。ここではネタバレになるので明かせないが、とにかく、彼は幼少時代の思い出から人間はポケモンを傷つけるものだと思い、「ポケモンは人間から解放するべきだ」という思想を持っていた。しかしBWエンディング後、世界中を旅したらしく、BW2の方では彼の考えは大きく変わっている。彼は「人間とポケモンは必ずしも別離するべきではなかった」というようなことを述べ、「ポケモンバトルはただ単にポケモンを傷つける行為ではなく、相手の良さを認め合うもの」と結論付けている(Nの言葉だったっけ?)。そして「異なる考えを受け入れることこそがこの世界を豊かにする数式」と、現実世界にも通ずる名言も残した。そんな名言を聞いた瞬間、私は彼のファンになってしまった。

その他ライバルやジムリーダー、街中の人々などの発言も染みるものや考えさせられるものが多く、ガチなゲームフリークを見せつけられた。ポケモン、すげぇ…!そんなわけで一昨日、友人とポケモンセンターに行ったりするまでにハマってしまったのであった。

私とポケモンの出会いは小学四年生の九月。DPが最初であった。それから私はめくるめくゲームヲタクロードをひた走り、その延長線上にあったアニメヲタクロードに突入、爆走し、普通のヲタクか、ドリーマー系乙女か、はては腐女子かという分岐点にぶち当たった時には、何を間違ったか腐女子の道を選んでしまった。それで今に至る。つまりポケモンは私にとって全ての始まりなのである。

こうしてまたポケモンにかえるとは、何だか感慨深い。一昨日ポケモンセンターに行ったときも、ポケモンを楽しそうに指差している小学生の男の子を見て、昔の自分を見ているような気分になった。私にもあんな時期があったなぁ、と。ポケモンにハマっていた時期が、私にとって一番の青春時代であった。
ポケモンセンターには全体的に家族連れが多かったが、女子高生、男子高生、大人の男性などもたくさんいて、まさに老若男女という感じであった。その人達もその小学生の少年のような年齢の頃から好きだったのかもしれない。そして過去を思い出しているかもしれない。ポケモンは歴史を語るのである。…何か言ってみたかっただけである。

長々と書いたが、つまり私はポケモンにハマっている。ただそれだけである。BWとNの素晴らしさを語りたかったがためにこんなに長文になってしまった。すみませんでした。


というわけで、今後もプレイしていこうと思う。


では。