偏屈士日碌

アジカンを筆頭に邦ロックやアニメについてつらつらと。

女子高生と本屋

最近、私のガラケーの反応が若干鈍くて腹が立っている。そもそも今時ガラケーだということに腹が立っている。ここ一年で急激に浸透したスマホブームに一家全員乗り遅れ、未だにガラケーをしぶとく愛用しているのだが、そろそろ限界が近くなってきた。その限界というのは携帯の寿命的な意味でなく、私の忍耐的な意味である。ガラケーは圧倒的に使いやすくて慣れ親しんでいるので、世間がスマホ色に染められていくのは何だか悲しいが、これも時代の変化なのだろうか。民主党の出番は、野田元首相の出番はもう終了したのだろうか。あのつぶらな瞳が見れなくなると思うと少し惜しいが、今後の日本を思って安倍首相に任せるしかないのだろうか。あれ、何の話だったっけ。

というかスマホの話が本題ではない。


今日の主題は友人と神保町に行ったことである。

初めて遊ぶ友人と行った先が神保町ということで、すごく新鮮であった。女子高生二人でひたすら本屋を梯子し、お互い手に取った本を読み耽る。昼飯にはラーメンをずるずる食し、食後にまた本を買って喫茶店内で読み耽る。ぽつぽつ喋る。そして読み耽る。今日の一日はこんな感じであった。友人とこのように時間を過ごすことはあまりないので、とても新鮮で心地好い時間だったと思う。何だか面白い一日であった。
私は結局アジカンが実写版映画の主題歌を担当する「横道世之介」の原作小説を買った。なかなか面白い。


電子書籍というものが誕生してからも、どの本屋にも結構人がいた。やはり電子では表現出来ない本の重さだったり、インクの匂いだったり、ページをめくるときの感触だったり――というものに魅力を感じているのだろうか。

私も断然紙の書籍派である。私はそもそも本屋が好きなので、本屋で色々な本を物色する時間が失われてしまったら非常に困る。本屋が無くなってしまったら私は生きていける気がしない。
それに、この書物の形態というのは、本当に大昔から伝わってきたものだから、大事にしていくべきだと思う。何でもむやみやたらに電子化、現代化するのには私はあまり賛成出来ない。元々あるものを大事にすることはとても今重要だと思う。


もっと色々書こうと思ったが、睡魔が襲ってきて書けない。もう寝ることにする。